先日、高校の友人の結婚式で実家の方に帰りました。
彼は高校時代一緒に汗にまみれ、土まみれになりながら野球に勤しんだ間柄の友人でした。
当然のように、お祝いの気持ちでいっぱいです。なによりも、友人の幸せは嬉しいものですから。
当日の朝、父から結婚式場まで車で送ってもらったのですが
その途中、車内で父が言いました。
あそこの家の親父、死んでしまったんだとよ。
まだ50くらいだったけどなぁ。
僕は理由がわからず、
なぜ??
と聞いてみたのですが
父は
酒の飲み過ぎらしい。
と、言うのみでした。
ふぅーーん。たしかにあの人はよく酒を飲む人だったものなぁ。と思うばかりで、深く考える事はなかったのです。
何はともあれ、友人の結婚式はやはり、最高でした。
普段僕は、どんなことがあっても涙は出ない、もはや涙腺が枯れているのではないかと思う事があるのですが。
同い年や関係の深い友人の結婚式を見ると、いつも僕は涙が止まらなくなってしまいます。
引くほど号泣します。
前に行った結婚式では泣きすぎて、えづきまして、大事な場面で新婦が笑うというハッピーな事が起こったくらいです。
なぜ自分でもその時、いつも泣いてしまうのかわからなくなってしまうのです。
終始、腹を抱えて野球部の友人たちと大笑いをしながら、ときに泣きながらお祝いをさせて頂きました。
二次会でも、僕は楽しさが過ぎて
お酒を飲み過ぎてしまいまして。
酔いを醒ますために近くのラーメン屋さんで食事をしてから
三次会の会場に向かおうと思ったのですが、
どうも気持ち悪さが先に来まして、このまま飲み会に参加しても寝てるか、吐くか、どっちかかもしれないなと思いまして。
母に連絡をして、申し訳ないが車で帰ることにしたんですね。
酔っ払いながらも母と話をしながらの帰り道だったのですが、
朝気になったことだったので
再び、僕は母にも聞いてみようと思いまして
あそこのお父さん死んじゃったらしいね。
と聞いてみましたら、
酒の飲み過ぎだったみたいよ。
と、母が返事をしました。
そのあとに続けて、
あと、そうねぇ、奥さんが3人子供連れて出てっちゃったのね。
だから、あの家に住んでたのはその人とその両親だけになったんだったかねぇ〜。酒癖が悪かったみたいよ、手癖も悪かったみたいねぇ。なんだかねぇ〜。
とも言っていたんですね。
奥さんが子供を連れて出て行ったあと、もぬけの殻になり、さらに酒に溺れ身体を壊し、早くに亡くなったというのが
実際の話らしいのでした。
なるほどね。そうゆうことね。あーなんかスッキリした。
それを聞いたときに、僕は特にはなにも思わなかったのですが。
家についてもほろ酔いの状態でしたから、アルコールを抜く為にもお風呂でゆっくりと浸かって
1日を振り返ってみると、いやはや、よく笑った感動した良い1日だったなぁと思うばかりでした。
いい気分になったもので、そのまま眠りについてしまったのですが、
9時くらいに寝てしまったものですから
夜中に目が覚めてしまいましてどうも寝付けません。
こりゃタバコを吸おうと思いまして、家の庭に出て星やら、木やら、月やら、そんなものをボーッと眺めながら一服をしたのでした。
すると途端に、あることが頭をよぎりまして。
あれ?
あれれれ???
どうして、いま自分が生きているんだっけ?
なんで、毎日生きていなきゃいけないんだ?
何をもって、生きるんだ??
と、生きる意味がわからなくなったのです。
突然そんな事が頭の中に下りてきたものだから、びっくりしました。しんみりとした夜風のせいだったかもしれません。
はてはて、
安心を手に入れたいからだ!としたら、安心を手に入れたらあとはどう生きるのだろう。。。
いや、、お金が欲しい?
お金が稼げさえすれば、生きていると感じられるのかな。
生きる為に生きるのかなぁ。
だとしたら、生きるためって、何の為に生きる事なんだろう。
突然、普段なら気にもしない事が、全くわからなくなりました。
これから先、生きる意味がわからないとしたら、向こう死ぬまで一体何を思って生きるんだろうと思ったら
途轍もなく人生が長くてたまらないなと思ったのです。
別に死にたい!とかもう嫌だ!とか
悲観的にそう思ったわけではなく、
単純に、世の中のみんなは何を生きる意味、生きる糧として生活しているんだろうと。長くて長くて、仕方がないとは思わないのだろうか??と思ったのです。
家庭を持った人には、奥さんが、子供が、生きる意味になるんでしょう。
こいつらの為にもおれはやらなきゃいけない、死ぬわけにはいかない、働かなければいけない。守るべきものの為に生きる人。
結婚式を挙げた友人は、これからその想いを心の何処かで自分の支えとして強く生きていくんだろうと思います。
それに対して、
奥さんが3人の子供を出て行ってしまったあの家の、
お父さんは
おそらく、僕の勝手な考えですけれども
何の為に生きていけばいいのかが、本当にわからなくなって、お酒を飲んで夢の世界を漂う事でしか、
どうにかして今を生きていく理由を見つけられなかったのかもしれません。
いきなり、ぽかんと空いた穴を埋めれなくなってしまったのかもしれないですね。
世の中には、いろんな事に熱中している人がいます。
家族の為に、仕事をバリバリとこなすサラリーマン。アイドルの握手会に行く為に、給料のほとんどをCDに充てる人。いつかビッグになる為に、曲作りに励むミュージシャン。自分を探す為に、世界を回るバッグパッカー。大邸宅に住み、会社を乗り回す敏腕社長。プロのスポーツ選手。などなど挙げたらキリがありません。
それほど、人は様々な方向に人生を歩んでいます。夢中になれる事を見つけられた人は幸せものです。
何かに熱中をしているうちに、みんなは日々を前に前に生きていくのですね。
なんだかなぁと。
ぼんやりとそんな事を考えていたら、結婚式の事をまた思い出しました。
なぜ、普段なら全く動じないのに
僕は結婚式で泣いてしまうのだろう。一体全体、何に感動しているのだろう。
それが1つの答えでもありました。
あくまで僕個人の性格や思考に合わせた答えなのですが、
僕は、人が幸せにしている様子を見ている事が堪らなく人一倍、嬉しいようです。
その逆に、人が苦しんでいると、どうにかしてそこから幸せな方向にしてあげられないものか、そればかり考えてしまうのです。
優先順位が、『人の事』過ぎて
自分が幸せとか、自分は満足だとか、なぜかわかりませんがそこに熱中する気持ちや感動を感じられないのです。
これは、良い悪いの話ではなくて、
適性があるかないかの話であって、僕は偶然人に対しての思いが強い傾向があるみたいです。
だから、自分の為にのみ入ってくるお金がなぜだか嬉しいものに感じられず、自分の欲を満たすだけの買い物が幸せと感じられず、1人で食べる食事をとても美味しいとは思えないのです。
そこに、食べ物を食べて本当に美味しいと言ってくれる人がいたならば、僕が食べているものすらより美味しくなりますし
その人にプレゼントを送って、飛び跳ねながら喜んでくれようものなら、おしっこをちびるほど僕も嬉しいのです。
これは逆に言えば、自分個人のためにはなかなか努力する事が苦手ということになるので
欲望をモチベーションにしにくいという弱さも持っているという事になります。
彼女がいなくなり、もう直ぐ4ヶ月経とうとしているのですが。今現在、誰でもいいからやりたいとか、はやく彼女が欲しいとも思えないのは、
以前に増して、
人が幸せそうにしてる姿を見れれば、同じくらい僕も幸せだ!と思ってしまうようになったからかもしれません。
今回の結婚式もそうだったんですが
やはり結婚式に何度参加しても、観ていると最高の幸せだなぁと毎度感じるのですが、
『僕が』結婚式を挙げたいとは思えません。
観る側でいたい祝う側でいたいという想いの方が強いのだなと常々感じます。
極端に言えば、
『僕個人の』幸せは、もしかしたら家でAVを観ていれば満たされるのかもしれません。
ただし、
一生をかけて幸せにしたいと思える人と出会ったならば
一生をその人に夢中となって生きれるでしょうし。
それだけではなく、
誰かを幸せにしたい一心で仕事に取り組めたら、お金は後から追ってくるでしょうし。
友人関係は、常に友人の幸せな姿を見たい一心で付き合っていたならば、僕は居る意味があるでしょうし。
様々なタイプの人がいますから、ここに当てはまらない人なんていうのは山ほどいるんでしょうけれども。
とまぁ、かれこれ10分ほど外で一服しながら
綺麗に丸く光っていた満月をみていたら
だんだんと心の中のモヤモヤは消えていきまして。
あ。
僕は。
自分の為だけには、生きていけない人間だったのだな。
と改めて、理解したのでした。
心から幸せにしたいパートナーと、友人と、仕事があれば僕はその他は少しばかりで大丈夫みたいです。
これを読んだ人は、こいつ相当やばいな、こいつ鬱入っとるなとお思いでしょうけれども、
大丈夫ですよ。安心してください。死にたい訳じゃないです。
とにかく明るく生きたいジョーイです。
何処からどう考えても明るい未来が待っているものだから、
眩しくて前が見えません。
ありがとうございました!