私の中のゲシュタルトが崩壊した日
どうもどうも、隼助でございます。
先週、文豪として生きていく事を決めてからの毎日といったら。
毎日生きていながら、どんな事を書こうかということが頭の中をグルグルと巡っていた。
ブログテーマを考えていた結果
そんなこんなで頭の中でいろいろな事を考えていたのだが
生と死。
生きている意味。
友人関係。
将来を見据えどのように生きていくのか。
仕事を通して感じた人間の多様性。
様々な人生のあり方。
なんというか、私が1週間を通じて感じている事というのはどうも常々鬱っぽいテーマばかりである。太宰治とどっこいどっこい。
今の今まで生きて来て、なんだか今日は気分が重いな、なんとも晴れやかな気分にはなりにくいものだなぁと思うことは実生活を振り返ってみても多かったのだけども、改めて今回1週間をじっくりと振り返ってみたことでハッキリとわかった。
率直に言って、このようなテーマを自分自身で扱っていても
特になんの意味もない。
あるのは、
このような哲学的なテーマに向き合っていると何か他の人より人生において大事な事を学んでいるような気がする優越感。
及び、
自分は人生から大切なものを感じとらなければいけない(神からの掲示的な)という謎の使命感である。
今までそんな事を考えながら、大切に、大切に、よく考えるんだと自分に言い聞かせて生きて来たが、それから得た事を何か1つと言われれば
なんか頭が良くなった気はするけど、それ以上に非常に鬱っぽいヤツになっている。
今日からできる事はなにか?
哲学者でも文学者でもない、一般人の私に何が出来るか。
世界平和のリーダーになれる訳でもないし、そもそもリーダーになったら多分いの一番に殺されそうだからなりたくない。
世の中の人に向けた自己啓発本を書けるかと問われたら、そもそも本を書く労力が面倒臭い。
夜な夜な悶々と1人で物思いに更けて気分を重くしているくらいなら、1人でスーファミでパロディウスかグラディウスをしてドキドキしている方がよっぽど健康には良い。
妄想に更けて人々を嘲笑っている時間があるなら、日々、起きた事に精一杯対処して、友人とワイワイ会話してる方がよっぽど人生としたら楽しい。
貴族階級でもなく、大富豪でもない人間が今日思い立って出来る事といったら、
明日死んでもいいように精一杯明るく1日を過ごす
くらいである。
言ってしまえば、それくらいしか本来人間がやる事は無いのかもしれない。
暗い気持ちとしっかり向き合えば、元気になれるなんて嘘だ。
暗い人は暗い事を考える癖がついてるから暗いのであって、暗くさせられる出来事が他の人よりも多い訳ではない。
明るい人はなんであんなにいつも元気そうで明るいのですか?というクエスチョンには
あの人は常々明るいからである。というアンサーが正解だ。
明るい人は、そもそも暗い事を考えてる時間が少ないから明るいのである。
明るい人生を送りたい…。ではなく、人生はすでに明るいのである。
今日もまた明るい1日がスタートします。
あっ、、あれ??
明るいて、なんでこれであかるいって読むんだろう。
明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい
明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい
明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい
明るいが、ゲシュタルト崩壊しました。
佐藤隼助