仕事の合間に公園で休んでいただけなのにパパになった話
子供の頃、遊び場と言えば近くの草だらけの神社や錆びた遊具がちらほらと有るだけの公園であった。
小学生の私ときたら、学校終わりに友人3人、4人ほどを連れて駄菓子屋で買ったピンポン球とベコベコのプラスチックのバットを持って、その神社で友人の顔が見えなくなるほどに太陽が落ちるまで遊んでいたものだ。
草むらにボールが入ったらみんなで飛び込み、ガサゴソと草をかき分けて一個しかないピンポン球を必死に探す。見つけ出した時には、腕やら脛やらは草で切れて傷だらけだ。
しかしそんなことも全く気にせず、また遊びに夢中になる。7時にでもなれば、「そろそろ帰らないとお母さんに怒られる!」とみんなこぞってダッシュで家に帰った。
炎天下の中、蝉の声が煩いほどになっていてけれどもそれ以外には風がそよいでいる音しか聞こえない。少年時代の夏の思い出だ。
大人になっても、未だに公園や神社が好きなのはその思い出があるからかもしれないなぁ。と、ふと仕事の合間に来た公園のベンチに座りながらそんな事を思った。
いつから少年は大人になるのか
私がぼーっとベンチでそんな事を考えていると、3人組の子ども達がバケツに水を入れて互いに掛け合っていた。もう既に何戦か交えた後であろうか、Tシャツもズボンも濡れ、濡れた服に砂がびっしりついている。
裸足で駆け回りながら、(一体こいつら後何回やったら飽きるんだろ、これ。)という私の気持ちをよそにひたすらにギャーギャー言いながら遊び続けている。
「どーやったらこれ乾くのー?」
少年が私の隣にサッとやって来て聞いて来た。
(よく見ず知らずのサングラス掛けた髭のおっさんにいきなり話しかけてくるな。子どもってどうなっとんるんじゃ)という気持ちを頭の片隅に置いておいて私は
「そのまま走り回ってりゃ勝手に乾くから大丈夫だよ。」と伝えた。
これは面白そうだと思い、続けざまに
「みんなは友達か?3人兄弟かー?」と聞いた。
…無視された。
何事もなく1人の少年は走って水遊びに戻っていった。
1人の少年は濡れたTシャツが煩わしかったのだろう、上半身裸で走り回る。
1人の女の子は砂だらけの手を顔にベタベタとつけて「んー!涼しいよー顔がひんやりするー」と言うが、当然顔には砂がたっぷりとついているわけで。
こうやって女の子は砂の代わりにたっぷりのファンデーションを塗る事で自分を大人の女性に変えていくのかしら…と、今しか見れない天真爛漫な彼女をみて微笑んだ。
はたから見れば、髭のおっさんが女の子をみてニヤニヤしてるので大変よろしくない光景であったが、そこは気にしないことにした。
すると、走り回って服を乾かしていた少年がまたベンチに座っている私の元にやって来た。砂だらけ。びしょ濡れ。擦り傷。けっこうである。男子たるものこうゆうものである。
寄りかかって来た。
(う、うん。けっこうなことであーる。俺の服、めっちゃ服濡れる。しかし、これでいいのであーーる。)
「パパ!しょうたくんに水かけるのやめてーって言ってー!」と言われて一瞬にして
(こいつ今俺のことパパて言うた。パパて!小学生の親ってこんな気持ちなのかな、なにこの心臓のど真ん中に来るほわーーわわわという温かみ…ナニコレナニコレ俺今パパて言われた!ンンンマーーー!!)
と心が動揺したが、そこは百戦錬磨のわたしである。冷静にうんうんと頷いてパパたる威厳と優しさを兼ねそろえたハイブリッドの微笑みでその子を見つめ返し、その場を収めた。
当然なのだが一応、私は全くもって彼のパパではない。彼がどこのどいつかも知らない。
しかし、パパという者の気持ちが今までの人生で1番リアルに感じられた瞬間であった。
彼は彼で本気でパパだと思って私に話しかけていた訳で、私も私なりにパパになりきってみた訳である。
血の繋がりもなく、はたまた何も知らない赤の他人だった2人は、あの時に限っては誰がどうみてもパパと息子だったんだろうと思う。そのくらい私にとってはリアリティのある体験だった。
それからも少年は、事ある毎に私のことを「パパー!ねー!パパ!」と呼び続けるものだから
私も、この少年のパパであり続けようと思い、パパらしい表情と雰囲気、声を維持した。
いかんせん、子供は視野が狭い。
狭いゆえに、先の事がわからない。だから泥んこになるし、擦り傷もすれば顔面をアスファルトにぶつける事もしばしばだ。なんの勘違いか、人のことをパパ扱いするし、仲良くなり過ぎた保育園の先生をお母さんと呼んでしまうことは誰しも経験した事があるのではないだろうか。
しかしながら、子供は真っ直ぐである。子供は未来を予測しない。出来ないし、しようとも思わない。清々しいほどに視野が狭い。
子供が大人に変わっていくとき。
それはいつだろうか。
事ある毎に未来を予測する癖がついた時には、もう人は大人になっているのだろうと、私は思うのである。
あの3人組をみていたら、子供だった頃の自分がそこに混ざって泥まみれになって遊んでいる光景が見えた。あの頃の自分にはもう戻れないかもしれないな、と思いながらその光景を目に焼き付けた。
時計を見ると、昼休みが終わろうとしていた。いかんいかん、さて仕事に戻ろう。
公園で休んでいただけなのにこんな事も起きるもんだなぁと、来た時よりもなにか軽い気持ちになりながらベンチを後にして、職場に戻った。
風が吹くと左肩が涼しい。
私のグレー色のTシャツの左肩は、まだ名残惜しそうに黒っぽく濡れていた。少年が寄っかかってきたときに濡れたのが乾いていなかったようだ。
なんだかどうして、まるで、いつかの自分からまだ遊ぼうよと引き止められているようにも感じられたのだった。
まだまだ大人にはなり切れない。
佐藤隼助