僕の中の友情に対する想いがエンドレスなのです
『おはよう!そして会えないときのためにこんにちは、こんばんは、そして、おやすみなさい』
ジョーーーイですよ。
二ヶ月ほど前に彼女に結婚の申し込みをしました。
ひざまづいて、婚約指輪を渡して、僕の結婚生活は始まるはずでした。
彼女は
びっくりしてびっくりしてびっくりしていた顔をしていました。
僕は、これでゴールイン出来るんだ、と。
ところが、
『でもね。あなた、貯金全然ないじゃん。仕事不安定じゃん。貴方との結婚生活が想像できなくて怖い。だからやっぱり無理です。』
婚約2日で婚約破棄されまして。
こうなりました。
ルームシェアをしていた友人との4年間
彼女と過ごした4年間
同時に失い、
絶望しかけたんですね。
なんか、俺って一生このままなのかな。なんて
一人暮らしを始めて
2週間。
なんでしょうかね。
失ったものの分だけ大切なものっていうのは舞い込んでくるものです。
一緒に個人事業として働いている先輩から
『お前と一緒に仕事が出来て本当によかった。』
兄ちゃんと弟みたいなやつと
新居にて飲む機会があった時も
『このメンバーでいると、本当に心からゆったり出来るね。またこうゆう事が出来て嬉しいよ。』
と言われまして。
もしも、あの時、彼女から結婚のOKが出て、
今頃、1LDKの部屋で2人一緒に暮らしていたならば
もしかしたら、このみんなが家に来る事はなかったのかな、男だけでゆっくり語り合う機会なんてもっともっとレアなものになっていたのかななんて思ってしまうと
『本当に今があって良かった』
と、心から思えるのです。
人は、辛い事、悲しい事、苦しい事を
自ら望んでやりたくは無いんです。
それでも生きていると、そうゆう気持ちにさせる事は幾度となく訪れます。
そんな事があった時に
せめて、笑って過ごしてやろう、このトラウマを笑いに変換してみんなを笑わせるエンターテイナーに僕はなってやるんだ!
と思える自分に、今は誇りすら感じてしまうのです。
同居していた友人と一度距離を置く事で
友達の有り難みを痛感する事ができて、またこいつと何か面白い事やってやろうと、また思う事ができます。
失ったものの分だけ、自分にとって大切なモノは明確に見えるのですね。
人は愛をもって、人と向き合う事。
僕が今感じている幸せの定義はこれです。
これからも自分を悩ませる事態は起きていくのかもしれませんね。それでも、そこが常に自分の心を成長させる出来事なのだと思い続ければこそ、自分の理想や夢へ一歩ずつ着実に
新幹線のようなスピードではいかなくとも進んでいくのでしょう。
苦しんだ人ほど、些細な幸せを大きく感じる事が出来る。在り来たりな言葉かもしれませんが
僕は今現在、激しく痛感してやまないのです。
しかしながら、男の友情を強く感じる反面
激しく
おっぱいを揉みたいという気持ちが
同居しているという事実を受け入れなければならいのだ、と!
感じてやまないのです。
そんな性欲まみれの自分がいることも今は本当に楽しいのですよ。真面目に生きすぎたって馬鹿らしいじゃないですか。
やはり、紛れもなく
おっぱいが正義なのです。