ブログを更新するのに挫折しまくっている2人がどうにか更新を続けた結果wwwwww

ブログをコツコツ更新しようとして何度も挫折しています。それでもどうにかしてただただ知って欲しくて書きます。3年間続けたら何かが起きると信じてる!!そんなこんなで苦しむ2人のドキュメンタリーブログ(毎週木か金更新予定)

私の中のゲシュタルトが崩壊した日

どうもどうも、隼助でございます。

 

先週、文豪として生きていく事を決めてからの毎日といったら。

 

毎日生きていながら、どんな事を書こうかということが頭の中をグルグルと巡っていた。

 

 

ブログテーマを考えていた結果

そんなこんなで頭の中でいろいろな事を考えていたのだが

 

 

生と死。

生きている意味。

友人関係。

将来を見据えどのように生きていくのか。

仕事を通して感じた人間の多様性。

様々な人生のあり方。

 

 

 

 

なんというか、私が1週間を通じて感じている事というのはどうも常々鬱っぽいテーマばかりである。太宰治とどっこいどっこい。

 

今の今まで生きて来て、なんだか今日は気分が重いな、なんとも晴れやかな気分にはなりにくいものだなぁと思うことは実生活を振り返ってみても多かったのだけども、改めて今回1週間をじっくりと振り返ってみたことでハッキリとわかった。

 

 

率直に言って、このようなテーマを自分自身で扱っていても

 

特になんの意味もない。

 

 

あるのは、

 

このような哲学的なテーマに向き合っていると何か他の人より人生において大事な事を学んでいるような気がする優越感。

 

及び、

 

自分は人生から大切なものを感じとらなければいけない(神からの掲示的な)という謎の使命感である。

 

 

今までそんな事を考えながら、大切に、大切に、よく考えるんだと自分に言い聞かせて生きて来たが、それから得た事を何か1つと言われれば

 

 

なんか頭が良くなった気はするけど、それ以上に非常に鬱っぽいヤツになっている。

 

 

 

今日からできる事はなにか?

 

哲学者でも文学者でもない、一般人の私に何が出来るか。

世界平和のリーダーになれる訳でもないし、そもそもリーダーになったら多分いの一番に殺されそうだからなりたくない。

世の中の人に向けた自己啓発本を書けるかと問われたら、そもそも本を書く労力が面倒臭い。

 

 

夜な夜な悶々と1人で物思いに更けて気分を重くしているくらいなら、1人でスーファミパロディウスグラディウスをしてドキドキしている方がよっぽど健康には良い。

妄想に更けて人々を嘲笑っている時間があるなら、日々、起きた事に精一杯対処して、友人とワイワイ会話してる方がよっぽど人生としたら楽しい。

 

 

 

貴族階級でもなく、大富豪でもない人間が今日思い立って出来る事といったら、

 

明日死んでもいいように精一杯明るく1日を過ごす

くらいである。

 

 

言ってしまえば、それくらいしか本来人間がやる事は無いのかもしれない。

 

暗い気持ちとしっかり向き合えば、元気になれるなんて嘘だ。

暗い人は暗い事を考える癖がついてるから暗いのであって、暗くさせられる出来事が他の人よりも多い訳ではない。

 

明るい人はなんであんなにいつも元気そうで明るいのですか?というクエスチョンには

 

あの人は常々明るいからである。というアンサーが正解だ。

明るい人は、そもそも暗い事を考えてる時間が少ないから明るいのである。

 

明るい人生を送りたい…。ではなく、人生はすでに明るいのである。

 

 

 

 

今日もまた明るい1日がスタートします。

 

 

 

 

 

 

あっ、、あれ??

 

 

 

明るいて、なんでこれであかるいって読むんだろう。

 

 

明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい

明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい

明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい明るい

 

 

 

明るいが、ゲシュタルト崩壊しました。

 

 

佐藤隼助

 

 

 

 

 

 

 

毎日がその日のマックス

改めて始めまして

徳志郎です。

 

先週からブログをちゃんと続けて書いてみようと

始めた今回のこの文豪プロジェクト

 

このプロジェクトのおかげで

毎日今日はどうだったかな?

明日はどうしようかな?

を振り返る時間を自然と取ることができている。非常にいい効果である。

 

それをやる前から薄々感じてはいたのではあるが

 

私が

圧倒的なダメ人間な事を露呈する結果となった。

 

 

月曜日仕事を終わり

帰宅し自炊をしてゆっくりし

そのあとはスーファミパロディウス

 

火曜日仕事を終わり

帰宅して自炊をしてゆっくりし

ランニングをしてパロディウス

 

水曜日仕事を終わり

帰宅しようかなーと思ったけど

スロットに行ってみて一万捨てる

 

 

木曜日仕事を終わり

ゆっくりしようかなーと思ったら

アイコスを会社に忘れて焦る

震える

開き直る

 

そして今に至る

 

根っからのダメ人間

根っからの引きこもり

  

来週からはこんな事にはならないぞ

と気合いを入れてスケジュール帳にびっしりと気合と予定を書き込む。

この作業もこれまでの人生で200回はした作業なので

またスルーするのも目に見える。 

 

そんな毎回振り出しに戻る自分を可愛らしく思えてくる。

内容がどうであれ

私は全力でその日を生きている事は胸をはって言える

当然パロディウスも全力でやっている。

 

 

将来の何につながっているのかはわからないが

この良くなかった1週間が

何かいい事に繋がる事を信じて

来週も生きていこう。

 

リア充をインスタで上げてる人達と真逆の写真を毎日アップしたいものだ。

毎日スーファミのテレビ画面がタイムラインになるだろう。

 

 

小松徳志郎

前略っ。

あっ。えーーーっと。

 

どうもはじめまして。

 

 

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どうもこんばんわ。

 

前略っ。高木善行です。

 

全力っ。タカギヨシユキです。

 

 

 

僕のお店、何を食べても半端じゃなく美味しいです。

 

 

顔はいつからか、ヤ◯ザですが。

 

会ってみると、禅僧のような落ち着きを放っていますよ。

 

 

どうぞ僕のお店に一度いらして下さい。

 

 

本当に美味しいですよ。

 

 

 

 

(佐藤隼助とは一切関係ありません。何処かの町にある何処かの居酒屋さんの店長です。佐藤隼助本人ではありません。)

ブログタイトルが変わりました

こんばんわ。

 

ジョーイです。

 

なぜ元かと言いますと、

 

今日から私は佐藤隼助(はやすけ)になるからです。

そして、元ジェームスは小松徳志郎(とくしろう)になります。

 

 

何故か、何故かというと

 

 

太宰治みたいに、

 

 

明治の文豪っぽいからです。

 

文豪っぽいと、書いてある文章もなんだか重みがありそうだからです。

 

 

 佐藤隼助

 

小松徳志郎

 

どうです。

 

重みがハンパじゃぁない。

 

 

 

平成に生きる文豪として、これから数々の名言を書いてゆくことになるでしょう。

 

 

文豪になろうとしたその日から、その人は文豪となっているのである。

 

佐藤隼助

 

 

 

 

どうですか!!

 

 

文豪にしか見えないでしょう。

 

 

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

こまったら結局肩甲骨と股関節。こまったらダッシュ。

『おはよう!そして会えないときのためにこんにちは、こんばんは、そして、おやすみなさい』

ジョーイのおでましです。

 

縁あって、ヨガを人前でやる事が有るのですが。今朝は頭の中が纏まらなくて仕方がありません。

鼻から吸ってー、口から吐いてー。と、どうにか平静を保とうとするわけですが、これがどうも上手くいかないのです。

 

 

いざ、ヨガの時間となりましたが、やはり、なにやら心の騒がしさを落ち着かせる事が難しく、余計な説明やフォローが増えていました。

 

(困った困った。一体自分はさっきからなにをしゃべっているんですか?今の説明、どうゆう意味ですか?)

頭の中は独り言が駆け巡ってばかりで、脳内は1時間、ジョーイの中のリトルジョーイ独演会状態です。

 

 

そんな中でも無事にヨガは終わり、帰宅の途につく訳ですが、不思議なもので帰りの電車の方が頭の中は整理され、落ち着いた気分になっているんですね。

 

 

なるほど、そう言うことか。

心は目に見えないけれども、結局は考え事をしているのも、させられているのも自分の体、肉体なのでした。

 

 

今朝の僕は、脳内ばかり整理しようとして全身を動かすことを忘れていました。

なんだか脳が体の中で最も重要なものと思いがちですが、そうではなく、自分の全身の一部に過ぎなくて

 

頭が上手く回らない=肩甲骨周りが固まって、肩が凝っているレベルのこと

なんです。

 

なんだか、頭の調子がうまくないなと思ったらまずは頭をスッキリさせる前に肉体をスッキリさせてみる。

ましてや、言葉がスラスラと出てこない事も突き詰めてしまえば

『まだ言葉を発するための筋肉が充分に温まっていないだけ。』

ですから、それも身体、肉体を動かしていれば万事解決です。

 

 

ここに困った時の対応策を用意しておきます。

 

例1)朝起きる→頭スッキリ→そのままでオッケー

 

例2)朝起きる→頭回らない→頭は置いといて、とにかく身体動かす事に集中する

(頭が働かないのに働かせようと頭で考えても頭が働いてないんだから結果働かない)

 

 

結果、意識聡明。

言葉のチョイス、タイミング、間の取り方も思いのままに。全盛期のイチローのバットコントロールを思い出してみてください。あれよりも思いのままです。完璧。パーフェクト。パーペキです。

 

明日の朝から、僕は、超一流になる事が約束されたのでした。

 

 

次回、歴史偉人伝でお会いしましょう。

水曜日のカンパネラの曲を聴くと、恥ずかしくて肛門のあたりがザワザワ〜〜てなる

『おはよう!そしてあえない時のためにこんにちは、こんばんは、そしておやすみなさい』

 

ジョーイです。

 

何が起きたわけではないんですが、今年の半分が過ぎようとしている中で

 

ふと淡々と日々を書いていきたいと思い立ったのでつらつらと書こうと思います。

 

 

 

なんの本でしたか、こんな事が書いておりました。

 

0歳から17歳までの人生のスピード感と

 

17歳から80歳までの人生のスピード感は

 

ほぼ、イコールに感じるのである。

 

 

0〜17歳=17〜80歳

 

 

ここに、科学的根拠というものは存在しないでしょう。根拠などあろうとしても、あり得ません

 

 

数学的に、17と63は

 

ノットイコールですもの。

 

17≠63

 

なのは誰の目で見ても間違いない事です。

 

 

然し乍ら、不思議なことに、こう言われてそれ絶対違うよとは言い切れないこの気持ちはなんなのでしょうかね。

 

 

『確かに言われてみると、そう思う。』

と、思う人も少なくないのではないでしょうか。

 

 

 

僕は今年で29歳になるのですが、今年1月までの28年間の人生はとても長く感じていました。

 

周りの友人が会社員として、中堅と呼ばれるようになり始め結婚をする者も、もう子供が1人2人いる者も珍しくありません。

むしろ、結婚をしていない友人の方が少なくなってきたくらいです。

 

 

 

 

 

最近友人と食事をしたり、遊んだりすると

 

 

会話の、のっけから、

それはもうのっけの部分から

映画のオープニングのシーンから

『俺らももうおっさんだからさぁ。しんどいよな。。』

『気づいたら次の週の月曜日が始まっている。』

と口を揃えて言います。

 

 

僕はというと、

『はぁ、そうですか〜。びっくりするほど長いけど、、、。』

とまぁ、頭の中で思いながら、今までは聞いていました。

 

 

 

けれども、今年に入ってからなんか違う。あれーーすごいなんか違う。

来週の水曜日が半端じゃないスピードで近寄ってくる。すんごい、水曜日がよって来る。

 

 

 

去年

 

ジョーイ○○○○○○○○○○○次の水曜日

距離感の雰囲気

 

 

 

 

今年

 

ジョーイ=水曜日

 

 

 

なんですよね。

 

 

 

 

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なんでこんな事になるんだろうと考えたんですけど、

 

 

考えたというか、薄々感じていたんですけど。

 

 

 

 

記憶に残る1日を過ごしていないからですよね。もう、これは言わずもがな誰しもが

 

そりゃそうだろうよ。と、おっしゃると思いますけど。

 

 

 

ドーパミンというのは、人間の長期記憶に影響を及ぼすそうです。

 

ドーパミンといえば、達成感や充実感、満足感、衝撃的な体験をした時に

 

脳内で、どっさぁぁーーーっと出るようなんですが、つまり簡単に言えば

 

 

すんごく嬉しかった事

すんごく辛かった事

すんごく感動した事

 

は、いつまでも強く覚えているという事です。

 

 

 

 

子供の頃は、

 

 

カブトムシを捕まえただけで

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

登校班の班長が持つパイプを振り回しながら帰るだけで勇者の気分

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

合唱コンクールリーダーをやって、本番で1人だけのっけから歌詞2番歌い始めて

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

 

親に隠れて、帰り道に駄菓子屋で買い食いしただけで

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

 

 

って、みんな一度は経験してるじゃないですか。

 

 

 

 

僕は幸せものです。

 

去年までは明らかに

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

で生きてこれた訳ですから。同世代の中でもすでに気分的には長生き出来ている事になるんですよね。

 

 

長生きって、

単に年齢の事を言うのではなく

 

その人が生きてきた時間感覚の長さ

 

とも言えるんじゃぁないでしょうか。

 

 

 

 

 

無駄な夜更かし、一見意味の無いように感じれるウジウジとした悩み事、心に大きな傷を残す大失恋など

 

大いに結構じゃないですか。

その分、生きている時間を長く感じられるのですから。

 

 

 

 

毎日、一回は

 

ドーパミンどっさぁぁーーー

 

してやろうと、そんな目標を立てるのも悪くないです。

 

これから80歳まで

 

毎日を、なげぇなげぇ人生がなげぇよ、もう気分的には200歳超えてるよなげぇよ

 

と思えるように生きていきたいものだなと感じました。

 

 

 

 

 

最近、ドーパミンどっさぁぁーーーを感じたのは

 

 

 

駅前で演説していたマック赤坂でした。

 

 

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彼は彼で本気でしたが

 

 

演説の内容は、一切入ってきませんでした。

 

 

 

嫌われる勇気

『おはよう!そしてあえない時のためにこんにちは、こんばんは、そしておやすみなさい』

 

こんばんわ!ジョーイです。

 

 

満足感は人を充実させ、達成感を与えてくれます。

 

しかしながらその満足感も、何度も経験をしてしまえば慣れが来てしまうことでしょう。

 

自分自身でも気付かずに満足感のハードルを上げている事が多いものですから。これがまた困ったものです。

 

 

どうしようどうしようと悩みながら、公園のベンチで空を眺めていた時代があったのに

得るものを得て、なりたい自分になったと満足した頃には、

 

すっかり空が青くて綺麗なことを忘れていることも。

 

 

最近、久々に、空が広いことを思い出しました。

それと同時に、自分が大きな共同体の中の物凄く小さい1つなんだと思いました。

 

それと同時に、こんなにちっぽけなんだから

人と人はさっぱり分かり合えないのは当たり前、当たり前なんだから分かり合おうと必死になっても良いではないかと思いました。

 

 

嫌われる怖さから避けるよりも、

嫌われるかもしれない、嫌うかもしれない可能性を抱えてでも人と話し合う心を忘れずにいたいです。

 

 

その結果、また親友にアムーーーー○ェイにされても。

 

もう怖くありません。僕は大人になりました。